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みんなのきもち

東日本大震災が起こってまもなくのこと

『ここ母ちん、なにか力を貸してね』

って、momamaちゃんからのメール。きっかけはこの一通のメールからだった。

そのメールの内容は、momamaちゃん、こひっこさん達の大事なお友達・pazooママさんが
いわき小名浜で被災されて、もしなにがあったら力を貸してもらいかもしれないと言うメールだった。
それまでpazooママさんのことは私自身この時まで、まったく知らない方だった。
でも、あの報道されるものを毎日見て
何も出来ない自分に情けなくどうしたらいいのかと日々思っているとき
momamaちゃんからのメール。これもきっと何か縁があってのこと。
我が家で出来ることを色々と考えました。
その時、ふとフォレスターをと思った。
もしも津波で車がなくなってしまって不便ならばフォレスターを使ってもらってはどうか・・・
車検は来年1月まであってまだ全然走れる。ただ燃費が・・・(^^;車があると避難所ではないプライベートな空間にもなるし、
もし、この子を必要としてくれるなら使ってもらおうって。
そしたらpazoo家の車はみんな津波でやられちゃったらしく
乗れる車がなくなって、お風呂へ行くのにも離れたとこまで行けばお風呂に入れるのだけど
避難所にpazoo君を置いては行きなくない。病院へいきたくても簡単には行けないと・・・
是非にお願いしたいとお返事が来た。
そんな不自由から少しでも開放できればと
テンに相談し(実際はもう提案したあとに話たんだけど(^^;)
フォレスターをpazoo家に届けることにしました。
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小名浜へ行くことが決まってからは
テンはテンなりに色々と使いやすいようにとしてくれた。ありがとね。
そして私のまわりに小名浜へ行くことを話すと、色んな人たちが少しずつ力を貸してくれました。
komachiママ・会社のご近所さん達・会社の取引先の大手の米菓子会社さん、うちの社長親子。
本当にありがと。
そしてナニよりもこの話をしてくれた関西の人たちの気持ち。
そんなみんなの気持ちを持ってpazoo家のもとへ行ってきました。

朝6時。
ここみろ号を積載車に乗せ、福島いわきの小名浜へ向かった。
磐越道に入ってすぐにいわきJCTから先が通行止めとなってたのを知り
ま、しょうがないかと半ば途中下道の覚悟もしながら向かったけど、通行可能になってホッ。
郡山JCTのあたりから、道は起伏が激しくなったり、少し道沿いの民家の屋根がブルーシートが掛かったりしてました。
いわき湯本で降り、海岸部へ向かっていくのだけどちゃんと信号も点いてコンビニもスーパーもガソリンスタンドも普通に営業していました。
これだけ、みてると何も地震前と変わらないのではないのかなって感じるくらいでした。
でも、道路の起伏は凄かったです。
9時すぎにpazooママさんの避難先に到着。
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会った途端、泣き崩れ・・・
pazooママさんはいつも自分のことよりも
こちらの方を気に掛けてくれて『こちらは大丈夫です』って
今まで本当に弱音を言わず頑張って日々を送っていたのです。
その頑張ってた気持ちと、今のみんなへのいっぱいの気持ちが涙と一緒に溢れ出て
今までのpazooママさんの頑張ってきた気持ちが伝わってきました・・・
そんなpazooママさんに気の利いた言葉を掛けてあげれればいいのに
なにせ誤字脱字王のワタクシ(^^;
抱きしめて『大丈夫っ大丈夫だから』と一緒に泣いてしまってそれしか出てきませんでした・・・
絶対に泣かないって決めて行ったのに、みなさんごめんなさい(泣
そして、この時凄くおしゃままのことを思いました・・・
pazoo君。
早速これから一緒に暮らす旧ここみろ号新pazoo号に乗ってもらいました!
どうかな?乗った途端クンガクンガ(笑)くっさい野生児の匂いがするのは許して~(^^;
確認が終わったら、前から早速後ろに移ってました^^
どぉ?pazoo君、気に入ってくれるといいんだけど。

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避難所にすこしお邪魔させてもらって、3/11の津波の時のことを聞かせてもらいました。
津波は11回も押し寄せてきたそうで、第4波が一番大きかったそうです。
津波が来たときの様子は野良猫が泳ぎ、
すぐご近所のラブもその津波の中にいて泳いでたそうです。
それは異常な光景でpazooママさんはその時正気ではなかったと話してくれました。
パパさんは電柱に捕まって津波が引いていくのを耐えてたそうです。
津波が来たとき、空は真っ黒になり雪など降らぬところなのに空からボタン雪が降ってきたそうです。
それがあまりに強烈な自然からのシグナルで、昨日も空が真っ黒になったらしくまた来るのでは?!と怯えたそうです・・・
本当に想像が出来ない状態でした。
我が家は、海の近くにあって石油タンクや火力発電所もすぐそこにあるんです。
なので本当に話を聞いてて、海の凄い力を思い知らさせました。
pazooママさんが
『津波でこんなことになったけど海は嫌いにはなれないんです。』と。
そして小名浜で頑張りたいとって力強く言ってました。
心ない人の放射能がうつるとか、他県に行ったいわきナンバーの車に帰れと書かれたり
その反面、いわきナンバーの車のワイパーに『頑張って下さい』とメモとお野菜がミラーに掛けられてあったりするんだよってpazooママさんが話してくれ
みんな色んな人間がいることを改めて思いました。
これ以上、
被災された人達が心痛めないようにしないとって、凄く感じました。
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帰り際
必ずまた来るからって再会を約束し、避難所を後にしました。




避難所からすぐにある小名浜港を見てきました。
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ここはテンの甥っ子たちと一緒に遊びにきた水族館があった港。
その水族館は封鎖され近くには入れなく、遠くに見ることしか出来ませんでした。
こんなに穏やかな海なのに
その距離が水族館は危険物のように近づくことを許してくれない感じさせ思えました。
二人で、ただただ言葉なくその様子を見てるのがやっとでした。
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瓦礫の山・・・信号機が斜めになっていたり、船が乗り上げられ映画の1シーンのセットのようでした。
ここはまだ電気もきてない状態でした。
その中で一生懸命にお店を片付けて瓦礫の撤去をしている人たちがいました。
pazooママさんがここで頑張りたいって言ってた言葉を思い出し
その人たちをみて
またここに遊びに来れる!来るから!って願い強く思いました。
絶対に忘れない。そしてこの気持ちをずっと持って生きなきゃならない。一時の気持ちだけではなくずっとずっとこの街が復興するまで。東日本が復興するまで。

実際、いろんな思いがありました。
あの被災された人達みんなにサポートしたいって思うけどみんなは無理。
でも、今、出来るのは
『pazoo家が少しでも不安がなくなり笑顔になれるように』って
動いたmomamaちゃんこひっこさん達の気持ちに、微力だけど我が家もプラスさせてもらいました。

車が来たことで少し不安がなくなって
これから前に進むスタートになってくれるといいなって・・・
桜の季節にpazoo家に出会えたこと
そして新たのスタートが桜の季節だったこと
きっとこれから桜咲くこの時期に想うだろうな。この願いと希望を。
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さ、これからpazoo号として
pazoo家をどんな時も体張って絶対に守りなさい。
どんな事があっても前に進みなさい。
そして今までやってきたように、色んな気持ちを聞いてあげてね。
それがお前にしか出来ない大切な仕事だから。
みんながお前に願いや希望を乗せたこと
しっかりね!頼んだよ。



最後に
震災から1ヶ月以上が経ちました。
あれから時が止まったままでまだ進めない人たちが沢山います。
新聞でも書いてありましたが
本当は手を貸して欲しくても言えないで頑張ってる人達がたくさんいるってこと。
そんな頑張ってる人たちに、そっと邪魔にならないように
少しだけど力になれたらって。

報道も少しずつ減っていってしまい
被災地の現状が分からなくなって
自分たちが取り残されてしまったと感じないよう・・・
大丈夫、離れててもいつもちゃんと思ってる。
本当に長い長い時間のサポートが必要です。
だからこそ、こちらが元気でいないと!
日々普通に生活をし、仕事、遊び、楽しいこと、笑うこと。
普段通り、暮らして
少しずつ長くサポート出来ることが
一番大切なことだと感じました。

前を歩くのではなく
前を見て進めるように
そっと後ろから力を。
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by cocoa-ty | 2011-04-17 23:03 | Trackback
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